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1月26日、立花孝志氏はTBS『報道特集』のSNS投稿を引用し、「テレビは限られた時間の中から一部分だけを切り取って放送するが、自分は全体をノーカットで公開している。あなたはどちらを信じるのか?」と問いかけました。
これだけ見ると「編集(切り取り)」vs「ノーカット」のどちらが信頼できるかとを問うているように見えます。
果たしてこの二者択一は正しいのでしょうか?
■そもそも「切り取り=悪」なのか?
1.テレビにおける「編集」の役割
テレビ番組は、放送時間の制約や視聴者の関心に合わせて情報を整理し、重要なポイントを分かりやすく伝えるために“編集”を行います。
取材した膨大な素材をそのまま流した場合、視聴者は要点を把握しづらくなる可能性があります。
そこで記者やディレクターが“どの情報が重要か”を判断し、専門家の見解や参考資料を差し込むことで、より全体像を伝えようとするわけです。
2.「意図的な切り取り」による誤解
一方で、特定の意図をもって発言や事象の一部だけを抜き出し、発言者を不利に見せる“悪意ある編集”が存在するのも事実です。
しかし、「切り取り」という行為自体がすべて悪と決めつけるのは早計でしょう。
重要なのは編集の有無そのものではなく、その編集が客観的な裏付けに基づいており、視聴者に誤解を与えない形で提示されているかどうかです。
■『ノーカット放送』のメリットと限界
立花氏は「自分はノーカットで動画公開しているから信用できる」とアピールしています。
確かに、そうすることで「テレビが恣意的にカットした部分はない」と主張できるかもしれません。
1.ノーカットのメリット
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すべてを視聴者に委ねられる
本人が話した内容をそのまま公開するため、視聴者は編集された情報よりもダイレクトに判断できます。 -
『隠していない』という印象
カット箇所がないため、情報公開の透明性をアピールできます。
2.それでも「検証」は必要
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「全部流せば真実」とは限らない
ノーカットであっても、発言自体が事実に基づいているかは別問題。根拠の乏しい主張を長時間垂れ流したところで、それが自動的に正しいとは限りません。 -
視聴者の負担が大きい
長時間の動画を検証しながら視聴するのは大変で、かえって誤情報が混在したまま拡散されるリスクもあります。
報道特集と立花氏、結局どちらが信用できる?
今回、TBS『報道特集』は、兵庫県議として活動していた竹内英明さんの自殺をめぐり、立花氏の言動が「過剰な主張」「誹謗中傷」につながっていたのではないかと報じました。
一方、立花氏は「誹謗中傷していない」「興味がない」「疑惑を示しただけだ」と主張を変遷させています。
1.報道特集側のプロセス
TBS側は、限られた放送時間の中で竹内さんの周辺取材を重ね、事実関係を整理したうえで放送したとしています。
2.立花氏の「ノーカット」チャンネル
立花氏が配信するノーカット動画は、あくまで「本人の視点」で語られる情報です。内容の正確性や根拠を検証する仕組みは、彼自身のチャンネル内だけでは十分担保できません。
「どちらを信用するか」という問いに対しては、「どちらか一方を盲信するのではなく、複数の情報を照らし合わせながら検証するしかない」というのが正解に近いでしょう。
本当に大切なのは「裏付け」と「検証」
編集がある・ないという表面的な部分よりも重要なのは、情報の正確性をどのように検証できるかです。
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立花氏の「逮捕予定」発言
兵庫県警が完全否定しています。たとえノーカットでも根拠がなければ誤情報にしかなりません。 -
竹内元県議の「でっちあげ」疑惑
ノーカットで長時間主張しても、証拠が示されなければ単なる憶測を拡散しているだけになります。
まとめ
ノーカットかどうかより「検証可能性」が鍵
立花氏が言う「テレビは一部しか放送できない」「自分はすべてを放送している」という対比は、編集の有無や配信時間に焦点を当てているにすぎません。
しかし最も肝心なのは、「提示される情報が検証可能かどうか」「根拠や裏付けがしっかり示されているか」です。
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『ノーカットだから安心』とは限らない
長時間流しても、デマや誤情報はデマのままです。 -
『切り取り』も一概に悪ではない<
放送時間や理解しやすさのためには編集が不可欠であり、大事なのは中身が正確に裏付けられているかどうかです。
つまり最終的には、複数の情報源を参照し、それぞれの内容を検証しながら判断するしかありません。
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一つの媒体(立花氏 or テレビ局)だけを『神のように絶対視』するのは危険
複数のソースや第三者的な見解、当事者の証言などを付き合わせることで、より正しい理解が得られます。
ノーカットか、編集か、という表面だけでなく、「中身をどれだけ裏付けしているのか」「専門家や当事者の証言はどうか」「事実関係が変遷していないか」などこそが、信頼に値するかどうかの鍵だという事を忘れるべきではありません。
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