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死者を冒涜して平気という感覚の段階で、正義が無いと知るべき

 1月25日放送の『報道特集』の内容を確認し、強く感じたことを以下に主張します。

「誹謗中傷」は“仮に真実でも”越えてはならない一線

 報道特集が裏取りを行うまでもなく、兵庫県知事選の時点で立花孝志氏は選挙演説や動画配信を通じ、あまりにも攻撃的で断定的な言葉を駆使していました。

 仮に何らかの疑惑があったとしても、それを根拠に県議や県関係者らを安易に『犯罪者扱い』したり『でっちあげの主犯』と決めつける行為は、常識的に見れば誹謗中傷の域を大きく超えています。

  • 過激なレッテル貼り
    「亡くなった県民局長が複数の不倫をしていた」「刑務所に行くのが嫌だから自殺した」など、証拠のない噂を『断定口調』で広める行為は誹謗中傷そのものです。

  • 『一線を超える』主張
    政治家の疑惑を追及するための報道や突撃取材は、オールドメディアでも行われるものの、立花氏は「不倫相手の数が多すぎるから不同意性交だった」「局長は刑務所に行くのが嫌だから自殺した」といった強烈な決めつけを重ねました。そのうえ、百条委員の家先に押しかけて選挙演説だと嘯き、局長の真実を隠しているなどと繰り返し誹謗中傷をする手口は、一般的な報道や追及とは次元の異なる攻撃性です。

 これほど非常識な選挙運動を見てもなお、彼の言い分を鵜呑みにする有権者が少なくなかった事実には驚きを禁じ得ません。

 投票者らは「自分は斉藤知事の実績を評価しただけ」と主張するでしょうが、非常識な行動や主張を繰り返す立花氏の応援を無批判に受け入れていた当時の斉藤候補の“二馬力選挙運動”に疑問を持たない姿勢は、到底理解しがたいものです。

それでも「斎藤知事が既得権益に虐げられている」と信じる人々

 今回の報道特集では、立花氏らがいかに根拠のない主張をしていたかについて、ある程度裏付けを示す内容が放送されました。

 しかしそれでも「斎藤知事がオールドメディアにいじめられていた」「既得権益の罠だ」と信じる人たちが今なお存在します。

 彼らは、オールドメディア側の問題点だけを拡大し、立花氏の誹謗中傷を批判するのはおかしいと主張し続けるのです。

  • 『痛快なヒーロー』への幻想
    過激な言葉で既存の政治やメディアを攻撃すると、『既得権益と闘う英雄』のように映ることがあります。これはトランプ現象とも似た構図で、多くの人がわかりやすい『敵』を求めてしまう心理を巧みに突いているのでしょう。

  • 情報をアップデートしようとしない頑なさ
    新たな報道やファクトチェックがあっても、「これはオールドメディアの捏造だ」「メディアも闇の一部だ」と拒絶し、誤った情報を修正する機会を自ら失っています。

元県民局長と全く同じ手法で県議に対するデマが拡散

 知事選では『局長』が標的になりましたが、1月19日に亡くなられた竹内元県議に対しても「逮捕予定だった」などのデマが拡散されました。

 東国原氏や一部のYouTuberらが再び便乗し、ネットで拡散を続けたのです。

 今回は幸いにも、兵庫県警本部長が異例の完全否定を行ったことで表向きは沈静化しました。

 しかし、知事選時の「局長は『10人不倫していた」』主張が事実無根と判明した今を持っても、同様の虚偽が再び死者に対して繰り返される構図は衝撃的と言わざるを得ません。

 この2か月の検証はいったい何だったのでしょうか?

 なお、東国原氏に関しては、知事選の結果を見て斉藤氏に『おもねった』ようにも見えます。

 あのときの民意を絶対視しすぎた結果、その後の状況変化を軽視してしまったのではないかと思えます。


真実とは何か?

オールドメディアと“インフルエンサー”のギャップ

 確かにメディア側も、疑惑を報じたり、無茶な突撃取材を行ったりするので、常に正しいわけではありません。

 しかし、少なくともファクトチェックの過程や報道基準、取材源の裏づけを公にするという点で、立花氏のように『でっちあげのレッテル貼り』を平然としているのとは大きく異なります。

  • 『オールドメディア』への不信と陰謀論
    「マスコミなんて信用できない」という先入観がある人々にとっては、立花氏の過激な言説が『真実の告発』に見えてしまいます。誹謗中傷が激しいほど『勇気ある告発』と錯覚する皮肉な現象です。

  • 現実の裏取りを伴わない過激発言
    兵庫県警が「任意聴取すらしていない」と否定しても、「ゆかたまつりのエピソードが事実無根ではない」と判明しても、それでも矛盾を認めない層が一定数存在します。報道特集へのコメントを見れば、その姿は明らかです。

結論

改まらない“信者”と、華麗にスルーされる無責任な風潮

 報道特集による事実確認が公表されても、依然として「既得権益VS正義の立花」という二項対立を振りかざし、オールドメディアへの批判を繰り返す人々が多く見受けられます。

 そこには、もはや絶望しか感じられません。

  • まったく懲りない“陰謀論”の温床
    亡くなった方への誹謗中傷やデマですら飛びつき、「オールドメディアが立花氏を陥れている」と信じる人の多さは、日本社会の情報リテラシーの低さ、政治風土の問題を浮き彫りにしているように思えます。

  • 心底軽蔑せざるを得ない
    批判や疑惑の提示は民主主義にとって必要なプロセスですが、人の生死や名誉を踏みにじりながら煽動を続ける手法、根拠のない陰謀論を拡散する姿勢、それをまるで『英雄の告発』のように扱う支持者たち、さらに指摘された間違いを訂正しない無責任さ――どれをとっても、軽蔑以外の言葉が見つかりません。

 私たちが今ここで問うべきは、誹謗中傷や陰謀論という『劇薬』を、民主主義の一部として無条件に容認してよいのかという点です。

 もちろん、オールドメディアがすべて正しいわけではありませんし、立花氏がすべて悪いという単純な図式では済みません。

 しかし、少なくとも『死人に口なし』の中で、ありもしない犯罪疑惑を拡散し、過激な攻撃を繰り返す手法を許容するならば、政治も社会もさらに劣化するだけでしょう。

 今後も同様の問題は起こり得ます。

 だからこそ、私たちはメディアやSNSの情報を冷静にチェックし、安易に「真実を知った」と思い込まず、常識的な視点を持つことが欠かせません。

 少なくとも、ろくな根拠も示さず死者を鞭打つ主張や行為は、それだけで『正義』などではないと断じる良識が求められています。

スルーしないで発信の責任を取れ!

 YouTuberやタレント、インフルエンサーなど情報発信力の高い人たちで、あの時期に立花氏に乗っかって誤情報を拡散していた方たちは、この機会に間違え真摯を認め、反省し、謝罪し、今後はより慎重に発信することを公に誓うべきです。

 口先だけの反省や、何が問題だったのか自己分析すらできない人々の発信はもはや信用に値しない、と社会が明確に示さなければ、この問題はさらに悪化していきます。

 危機感を持つべきです。