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兵庫・元県議の死と虚偽情報拡散――“死者の名誉毀損”が映し出す法律と政治への課題

1. “亡き人”への誹謗中傷がもたらす重み

 1月19日、兵庫県の元県議であった竹内英明氏が亡くなった直後に、根拠不明の「任意聴取を受けて逮捕予定だった」とする情報が立花孝志氏らの発信によりSNS上で広がり、兵庫県警が「まったくの事実無根」と異例の否定コメントを出す事態にまで発展しました。

 亡くなった人の名誉を扱う刑法230条2項(いわゆる“死者の名誉毀損罪”)は、形式上は遺族による告訴があれば成立し得るものの、実際には「虚偽の事実だと確定的に認識したうえでの発信」が求められるなどハードルが高いと指摘されています。

 つまり、不用意な誤情報でも「虚偽と知らなかった」と逃げられる可能性が残り、結果として“遺族の想い”が踏みにじられたままになりがちです。

 今回のケースは、亡き人がまるで犯罪にかかわっていたかのように扱われ、しかも“政治系インフルエンサー”らが便乗する形で拡散が加速したことで、故人やご遺族への打撃が甚大でした。

 一度流布された情報は容易に回収できず、誤りを認めて謝罪・訂正したとしても、ネット上には半永久的に残ってしまう。まさに「死後であっても人の尊厳を奪う」怖さを改めて浮き彫りにしています。

2. 行政トップの対応――なぜ踏み込めないのか

 ここでクローズアップされるのが、兵庫県・斎藤元彦知事の反応です。

 斎藤知事は記者会見で「SNSでの誹謗中傷は問題」と一般論を述べるにとどまり、具体的に竹内元県議への虚偽情報を止める働きかけは行っていません。

 もちろん行政トップとして、表現の自由に踏み込みすぎることの難しさはあるでしょう。しかし、故人とされる方が“事実無根の誹謗”を受けている状況において、公式に「やめてくれ」と促す道義的責任までは否定できないはずです。

 それでも政治家が当事者として動かない理由の一つには、当の斎藤知事自身が抱えるパワハラ疑惑をめぐって県政全体が混乱している、という事情が大きいかもしれません。

 自らの疑惑や政治対立を背景に、ネット上で「混戦模様」のまま放置されてしまう。この結果、真偽不明な情報が拡散しやすい“政治の空白地帯”を生み出している感が否めません。

3. デマ拡散を生む“構造”—なぜ法整備は追いつかないのか?

 今回の誤情報発信元となった政治家・インフルエンサーの行動様式には、再生回数や注目度を狙う風潮が色濃く見えます。

 一度拡散されれば、「炎上マーケティング」ともいえる形でさらなる情報拡散を誘発。間違いを指摘されたとしても、削除や軽い謝罪だけで済ませられる今の風潮・法整備の甘さが、その背中を押しているようにも思えます。

 日本の名誉毀損法制は“懲罰的損害賠償”を認めず、被害者が法廷闘争に踏み切るには時間とコスト、精神的負担が大きいです。

 一方で誹謗中傷や虚偽情報を流す側は、多額の賠償リスクに怯えずとも行為に及べる現状があります。

 さらにSNSにおける匿名性・拡散力が加わり、デマは加速度的に広がってしまいます。

 その結果、個人や遺族が想像を絶する苦痛を受けても、公的に救済されづらい“構造の歪み”が表面化しているのです。


4. 「倫理・リテラシーの強化」には法的裏付けが必要

 死者の名誉毀損罪や侮辱罪の改正など、国会ではここ数年ネット上の誹謗中傷対策に動きが見られますが、現実には遺族救済や被害回復を十分に担保できているとは言い難いのが現状です。

 法整備はあくまで政治家の仕事です。しかし、デマ・誹謗中傷という問題は近年のSNS普及による影響で急速に大きくなり、追いついていないのは明らかです。

 また、本来、政治や行政が率先して“捏造や名誉毀損を許さない社会的合意”を強化しなければならないところ、今回の兵庫県知事の腰の引けた対応が示すように、思惑・対立が絡む分野では道義的責任すら果たせない状態です。

 このままでは“死者にも鞭打つ”ような悪質なデマがさらに横行しかねません。

 理想を語るなら、私たち一般市民が、自身の能力を高めて「SNS情報はまず疑い、慎重に確認する」「政治家やインフルエンサーの意図を読み取る」「デマ拡散に加担しない」などのリテラシー向上に努めるべきでしょう。

 しかし法律の裏打ちなく、人々がデマを意識し、警戒し、抑制出来るかは大いに疑問です。

 政治や行政が“デマを決して容認しない”という明確な姿勢と強力な規制策を打ち出し、“懲罰的損害賠償”を含む法整備の可能性にも本気で向き合わなければ、こうした行為を真に抑止することは難しいと言えるでしょう。

【結論と展望】

 このように考えると、改めて、政治や行政が率先して示す強い対応こそが求められます。

 今回のケースは、亡くなった元県議とそのご遺族のみならず、多くの人々がネット社会における「デマの恐ろしさ」を再認識する契機とすべきでしょう。

 だからこそ国民である私たちは改めて、『どのような政治・社会のしくみが、今、必要なのか?』を意識し、デマに対する法整備とリテラシー強化を推進するリーダーシップがある政治家を育て、選ぶ必要があります。

 なぜならば、少なくとも斉藤知事や、法整備に取り組む姿勢も見せず、それ以前に現状に対して声ひとつ上げようとしない、多くの国会議員、総理、閣僚らには、まったく期待できないからです。